現地の語学学校に滞在したことは、だんだんと遠い記憶になりつつあるものの、私にとっては貴重な経験だった。当時のことで書きたいことは、色々とある。だが今回は、外国語学習とは別の視点から、当時の思い出を書きたい。
8週間の滞在に持っていった荷物は、大きなトランク1個分だった。独和辞典は大小2冊(授業用と寮での勉強用)、好きな音楽を聴くために、CDウォークマンとキャリーケースに入れたCD(古楽ばっかり)も10枚以上持って行った。これは、今なら電子辞書1冊と、mp3プレーヤーで事足りるだろう。これも時代だが、現地のラジオが聞きたいと思ったので、ラジオの受信機能があるウォークマンも持って行った。充電器や変圧器も大荷物だった。
これだけでも結構な重さになる。もっと入れられたかもしれないが、体格の割に非力な私は、自分で運べる重さしか入れられなかった。辞書以外にも、あれやこれやと紙のもの(日本語で書かれた文法書・書類・楽譜etc.)はあるし、今なら持ち込みは難しいかもしれないが、リュートを抱えて行ったりした。
着替えはせいぜい5〜6日分(下着はもっと少なかったかも)だった。物干しスタンドを買って、毎日洗濯して、部屋に干していた。物干しスタンドのような大きなものは、長期滞在する人に押し付けて帰国した。
こういう状態だったので、トランクの中身は、詰め込める余裕はあるが重たかった。向こうで読む(日本語の)ために持って行きたい本はあれこれあったが、かなり絞らなければならず、海外旅行に必ず持って行く、お気に入りの文庫2冊だけで我慢した。
モノに囲まれた、家での生活から考えると、びっくりするくらい少ない荷物だった。これで本当に8週間過ごせるのかな、と思ったくらいだった。
だが、モノが足りないと感じたことはなかった。別に着飾る必要はなかったし(もともと私はそういうタイプではないが)、たった2冊しか持って行かなかった本は、毎日のように繰り返し読んでも、全然飽きることがなかった。どの本でもそういうふうに感じるということはなく、選んだ本が、そのような読み方に堪えられるものだったからだろう。
たくさんの本を読む「乱読」がもともと好きだったが、1冊の本をじっくり読む「精読」の奥深さを知った。毎年のように持って行って、何度も読んだだけあって、本の内容がしっかりと頭の中に入っていて、今でもかなり覚えている。
テレビもなかったが、別に見なくても困らないことに気づいた(これは語学力の問題もあるだろうか)。テレビがない部屋なんて、移動教室や修学旅行以来だった。でも、静かな部屋で本を読んだり勉強したりするのはそれなりに充実していたし、どんな話をしているのか、ラジオに耳を傾けたこともあった。今思うと、テレビがない時代は、こうやってみんな聞き入っていたのだろうと思う。食堂に大きなテレビがある寮もあったが、みんなが見ているのはMTVばかりで、見ようとは思わなかった。
そして、窓を開けていると、町の教会の鐘が聞こえた。最初は分からなかったが、やがて15分おきに1回ずつ鳴らし、1時間に一度、時報としてにぎやかに鳴らすことに気づいた。これは教会によりさまざまで、複数の教会の鐘の音が聞こえる寮は、「いかにもドイツ」という感じで、それすらも楽しめた。
帰国が近づくころにはすっかり日常となっていたので、「この鐘も聞こえなくなるんだ」と、ちょっと残念に思った。そして、教会の鐘が聞こえない町外れの寮があてがわれたときは、とても残念だった。
大学生になって初めてこのような生活をして、「なんだ、テレビはなくてもいいんだ」と気づいた。母親が、子供に罰として「テレビを見せない」と言っても、子供より先にその状況に耐えられなくなるような「テレビっ子」だったので、テレビのない生活はとても新鮮だった。ニュースが入らなくても、そんなに困らないことも分かった(こういう生活を続けてしまうと、ちょっと問題かもしれないが)。今は、寮にインターネットに接続できる環境(できればブロードバンド)があるなら、ノートPCを持って行けば、テレビもラジオも新聞も不要になる。
「人間、トランク1つぶんの荷物があれば、生活できるんだ」と思った。たくさんある本も、滅多に着ない服も要らない。新鮮な発見だった。帰国後、以前の自分からは想像できないくらい、あれこれ処分できた。自分にとって画期的だったのは、なかなか処分できなかった本を、思い切って手放せたことだった。
そして、今の自分を見てみると、なんとモノに囲まれていることだろう。しかもそれらのモノは、「いつか使うかもしれない」という思いからしまいこんでいるものばかりだ。そういうものを、躊躇せずに手放していかねば、と思った。
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