頭の中に浮かんだことを、忘れないうちに書きとめておくところ
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日本人に当事者意識はあるのか
今日(2011年5月8日)付の日本経済新聞を見ていて、非常に興味深い記事があった。一部引用する。

 「新しい日本へ 第1部 危機からの再出発 6」より
「公共の利益」を優先させれば壁にぶつかる。関東大震災後に帝都復興院総裁を務めた後藤新平も、都市再生のための私有地提供への反発に悩んだ。戦後も道路や空港など経済活性化のインフラ整備は実現まで長い時間がかかっている。
大学の卒論で、「日本とドイツの都市政策比較」を扱った。実は卒論が必修の学部学科ではなかったので、実態としては「レポートが長くなったもの」レベルだったろうと思う。そもそもドイツに関する資料が少なかったり、外国語の資料にあたっていなかったりと、突っ込みどころが多い。

そういう少ない知識からでも、日本ではこういう復興事業の際にとても苦労していたのは、十分分かった。震災復興に比べるとあまり話題にのぼらないが、戦後の復興も中途半端だった。規模は震災復興より小さく、変更も多かった。
政府の復興構想会議で委員を務める河野龍太郎(46、BNPパリバ証券)は話す。「日本は私権制限の議論をはばかってきたために、インフラ整備が進まず、望ましい改革も遅れ、得るべき利益を失った。日本全体にどんな損失があるか、正面から向き合うべき時だ」
(中略)
生存権や表現の自由など基本的人権を尊重するのが民主主義だ。日本は戦前の軍国主義の反省もあって、とりわけ個人の権利を大切に扱ってきた。ただ、ややもすると、一人の反対で前に進めなくなる袋小路に陥っていたのも事実だ。
最初の引用で後藤新平も苦労したと記事に書いてあるとおり、戦前からこういう風潮はあった。私が読んでいた本では、震災復興でも戦後の復興でも、政治家(議員や知事)が選挙民のご機嫌とりで復興事業に反対することが多かった、と書かれている。結局、「公共の福祉のために、どこまで自由や権利を引っ込めるか」が重要で、日本ではあまり引っ込めなかったのだ。

久々に、日本国憲法を読んでみた。
〔自由及び権利の保持義務と公共福祉性〕 第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
私の理解が間違っていなければ、「国民は」「常に公共の福祉のために」「この憲法が国民に保障する自由及び権利」を「利用する責任を負」う、ということだ。

確かに国家が過剰に制限するのは問題だが、国民が自由や権利ばかりを主張して、公共の福祉を考えないのも、同じように問題だと感じる。

過剰な消費者至上はメーカー撤退を招く(WEDGE infinity)に、次のような文章がある。
この3月に、欧州委員会のなかの日本の消費者庁にあたる部署の責任者にインタビューしました。欧州は日本と異なり、メーカーが製品を作るにあたって、とても厳しい規格(スタンダード)を設けています。私は、この規格は日本のように消費者からきた要望やクレームを反映させていった結果なのかと思っていたのですが、聞いてみるとそうではない。欧州では、27カ国の代表者が三人ずつ集まり、メーカーのバックアップのもと、議論して規格を決めているのです。そこで「こうしなければならない」と、トップダウンで決めていきます。
(中略)
 欧州がそうするのは、域内のメーカーや市場を守るため。もし規格がゆるければ、メーカーが「うちの製品はこんなに厳しい規格を満たしているものだから、安全・安心なものです」と言えなくなるし、市場のほうも、中国等から低価格低品質の商品がどんどん入ってきてしまう。欧州はそうならないように、高い壁をキープしてきました。
唐突だが、私の20年来の愛読書、阿部謹也『中世の星の下で』(1986年、筑摩書房)に、「現代に生きる中世市民意識」という文章がある。この文章は、卒論を書くときの参考文献にも入れた。都市の姿の違いは何から生まれたのだろうと思って卒論を書こうと思ったのだが、参考文献を読んでいるうちに、結局は「市民意識の差」だと実感した。「市民意識の差をテーマに卒論を書きたかった」と思ったほどだ。

中世ヨーロッパの都市で、ギルド(同職組合)は自分たちの地位を守るために、厳しい品質基準を設けた。違反した場合の罰則は大変厳しかったという。先ほどの欧州のメーカーについての文章を読んだときに、私は即座に「現代に生きる中世市民意識」に書かれていた話と根本が同じだ、と感じた。

今の日本では、自由や権利を手に入れるために、自分たちに厳しい基準を設けているだろうか、と感じる。これは、私自身も蚊帳の外ではなく、当事者である。自由や権利は滝を落ちる水のように勝手にやってくるものではなく、自分たちの努力なしでは得られないものだという意識が、私たちには欠けているのではないだろうか。日本国憲法にも、「国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」とある。

では、日本ではそういう「市民意識(共同体の構成員としての意識)」はなかったのか? となると、私自身はきちんと参考となる本を読んだというわけではないので、断言できない。だが、江戸などの大都市もあったのだから、自分たちの地位を守り、余計な摩擦を減らすためのルールは、それなりにあったのではないかと思っている。

最後に、再度日本経済新聞の記事に戻る。
「優しい政治」「国民目線」といった言葉だけではない。臆せず難題と向き合い、真正面から解を探す。民主主義の強さが試される。
私たち「庶民」も、「政治家が悪い」「官僚が悪い」と言うばかりではだめで、問題を直視しなければならない。

誰かが自分たちに都合の良い・居心地の良い場所を準備して与えてくれる、などという虫のいい話はない。自分自身で、自分たちの住む共同体・自治体・国のあるべき姿を思い描き、それを実現するためにどう行動すればいいかを考え、議論し、実現させなければならない。そして、それには痛みをともなうこともあるという覚悟も必要だ。

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海外の大学(学部)に進む優秀な生徒が増える……はず
数日前にTwitterに書いたことについて、このブログでちょっと補足しようと思う。

このtweetのきっかけになったのは、日経ビジネスオンラインの、『東大ブランドは世界には通用しない 灘高トップはエール大学を選んだ』という記事だ。

私は、これは別に驚くことでもなんでもない、と思っている。優秀な高校生が、進路の選択肢に海外の大学を入れるのは、自然な流れだ。

ここで私の言う「優秀な高校生」というのは、いわゆる東大合格者が多い進学校に通う生徒だけを想定しているのではない。「大学で学びたいこと」と「卒業後の進路」を具体的に意識し、広い視野で今までの『常識』にとらわれずにものごとを考えられる人物だ。

確かに進学校のほうが、こういう生徒が出る確率は高いとは思う。自分の経験から、進学校には良くも悪くも「常識にとらわれない考え方」ができる優秀な(この場合は『勉強ができる』)生徒がそれなりにいると思われるからだ。

さらに、進学校のほうが、海外の大学を選ぶ際に有利な要因がもうひとつある。それは英語の運用能力だ。海外からの帰国子女で、現地校でそれなりの年齢まで学んでいた、というようなバックグラウンドがあればともかく、日本で生まれ育ち、(普通の公立校で)日本の学校教育だけを受けてきたという状態では、18歳で海外の大学に進学し、(英語に限らず)外国語だけで行われる授業に参加するのは難しいだろう。もしかしたら、せっかく海外の大学に行っても、付属の外国人のための語学コースでおしまい、になってしまうかもしれない。

私自身は留学経験はないのだが、恐らく、教科書や課題図書を大量に読み、ディスカッションに積極的に参加しなければならないはずだ。だとすると、学校で課される以上のことを学ばなければならない。積極性も要求される。これは私自身の経験だが、語学学校への短期留学でも、発言のタイミングを逃して「聞き役」ばかりになってしまうと、「この人は何も考えていない人だ(=バカだ)」と思われてしまう。

こう書くと、進学校では留学しても使える外国語教育を行っているのか、と思われるかもしれないが、そんなことはない(はずだ)。だが、比較的学ぶ内容が多いので、本人が努力すれば、留学先でのハードルを下げることができる。

ただし、非進学校だとこういうことができないかというと、そんなことはない。通っているのがどういう学校でも、「本人の努力しだいで」克服できると思う。非進学校だと、「海外の大学に行こう」という考え方がどう受け取られるかは分からないが、周囲に反対されて断念、という可能性があるだろう。一方で進学校は、生徒の自主性に任せる(=面倒見が良くない)ところが多いので、「大変かもしれないけれど、頑張って」で終わる可能性が高い。

一番大きなハードルと思われるのが、現地の言葉(多くの場合は英語になるだろう)の運用能力なので、このことについてあれこれと書いてしまった。

日本の経済が右肩上がりで、日本の企業に就職すれば将来は安泰、という時代であれば、日本の大学から日本の企業に就職する、という選択肢は、堅実だったかもしれない。しかし今は、日本の経済状態は良好とは言いがたいし、日本の企業の世界的な地位も、20年ほど前に比べると、明らかに低下している。さらに言うと、失礼ながら、昔から、日本の大学の存在感があったとは言いがたい状況だ。

日本の大学を出て日本の企業に就職する、日本語しかできない……となると、あらゆる面で市場規模が小さくなり、雇用も限られている日本国内で、少ないパイを求めて競争しなければならない。「いい仕事」は日本語+外国語(最低1つ)ができる人材(しかも日本人とは限らない)に持って行かれるだろうから、ますます条件は悪くなり、競争は厳しくなる。

それならば、もっと視野を広く持ち、大学も就職先も日本にこだわらないほうが、選択肢がぐっと広がる。雇用の条件も、日本国内と同じようなものもあるだろうが、良いものはもっと増えるだろう。

もしも中学生・高校生がこのブログを読んでいたら、高校卒業後すぐでなくてもいいので、海外への進学を積極的に考えてもらいたい。これまでの常識にとらわれず、周囲の言いなりにならず、自分で情報を集め、自分で考え、自分の将来を決めたほうがよい。
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ローテンブルクの城壁で(Rothenburg o.d. Tauber)
初めてのドイツ旅行で、一番私の心をとらえたのは、ロマンティック街道のハイライトである、ローテンブルクだった。中世ヨーロッパに関する書籍を読み漁っていた当時の私にとって、ローテンブルクの風景は、中世のままだった。

既にご高齢だったので、もう亡くなられていると思うが、現地のガイドさん(ドイツ人)は年配の女性で(お名前は失念……)、メリー・ポピンズをイメージして、傘を手にしていた。当時の私は、英語は会話を勉強し始めたばかりだったので、残念ながら彼女の話はそれほど理解できなかった。

でも、今でも覚えているのは、映画『チキ・チキ・バン・バン』で、ボンバースト男爵の住むお城がノイシュヴァンシュタイン城で、その城下町として映像が使われているのはローテンブルクということだ。市内観光で城壁を歩いているところで、「こちら側にチキ・チキ・バン・バンが着陸するのよ」ということだった。

その後映画を改めて見て、「ああ、本当にローテンブルクだ」と思ったのを覚えている。

それはともかく、中世好きの人間にとって、まるで中世から時が止まったかのような町並みは、楽しみ以外の何者でもなかった。

そうやって、私がワクワクしていたのに、他の人は全然気づきもしなかった場所が、城壁にはあった。

城壁に扉があるのだが、その向こうには通路があるわけでもない。
「――これは、あれだ!」
と思った私は、扉の中を覗き込んだ。予想通りだった。

扉の中は小さな空間で、腰かける場所があり、そこに丸く穴が開けられていた。穴の向こうには、城壁の下が見えた。

つまり、トイレなのだ。いちいち水で流すなんてぜいたくなので、出したものはそのまま城壁の外に落とす。

専門書で読んだそのままの実物が、私の目の前にあったのだ。このときの、「わあ、これが中世のトイレだ、本に出てた写真と全く同じだ〜」という気持ちは、同じような経験をした人でないと分かってもらえないだろう。

私は喜び勇んで、そのトイレを撮影した。「トイレだトイレだ」と喜んで扉の中を撮影していた人間は、グループの中では、当然ながら私だけだった。

何年も経って振り返ってみると、ローテンブルクを自分が気に入った理由が、以前よりもはっきりしてきた。理由の一つには、先ほども書いたように、「本で得ただけの知識を、自分の目で確かめる(自分のものにできる)」ことができたから、というのがあると思う。

あれこれ検索していたら、かつて私が撮影したのはこれだな、と思われるものと同じ写真をネットで見つけることができた。こちらのページの下のほうにあるので、ぜひとも(?)見ていただきたい。同じ気持ちを共有できる人は、恐らくいないだろうが……。

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チューリッヒのお店で(Zürich)
久々の更新。今回は、ボーデン湖畔最大の都市(と言っても人口は10万人クラスだったが……)のコンスタンツに滞在していたときのこと。

コンスタンツは国境の町でもある。町にはドイツ鉄道の駅とスイス鉄道の駅がある(ただし、接続はしていないので乗り換えはできないはず)。路線バスにも、国境を越えてスイスに行くものがある。本当はこれだけでも独立したエントリーにできるので、情報は簡単に書いておく。

コンスタンツから行きやすい大都市といえば、スイスのチューリッヒだった。それでも、電車にトコトコと1時間半揺られる。直通の電車があった記憶はなく、あっても本数が少なかったのだと思う。乗り換えは最低でも1回あった。

ドイツは土曜日の午後になるとお店が閉まっているのだが、スイスは土曜日は夕方までお店が営業していた(その代わり、日曜日はほとんどお店は開いていない)。そんなわけで、授業のない土曜日に、電車に乗って買い物に行ったこともある。

コンスタンツに向かうのにチューリッヒ空港を利用した私は、お土産を求めて、帰国直前にチューリッヒに向かった。もう、チューリッヒ空港近くのホテルに移動していた。

雰囲気の良さそうなお店に入り、お土産にネクタイを探した。余談だが、海外に長くいると、「このデザインいい!」と思って買っても、日本に帰ってみると派手だった、ということもあるので、こういうものを買うときは注意が必要だ。

とにかく、あれこれとネクタイを探していて、店員さんにアドバイスをもらおうと思い、そばにいた若い女性(恐らく20代)にドイツ語で声をかけた。ようやくZDaF(当時)に合格したところだったが、2ヶ月もいると、それなりに話せるようになる。

店員さんと、ああいう感じがいい、こういう感じがいい、と話していたのだが、だんだん言葉に詰まるようになった。何しろ初級なので、ボキャブラリーが少ないのだ。

そこで、
「すみません、このことをドイツ語を話すのが難しくなってきたので、英語で話してもいいですか?」
と英語で尋ねたところ、すぐに
「大丈夫ですよ」
と英語に切り替え、応対してくれた。しかも、ドイツ語で言っていたことを丁寧に英語で言いなおしてくれた(その話は分かったのだが……)。

無事「これにしよう」というネクタイも決まった。そこ私はレジに行き、店員さんは売り場に残った。そうやって購入したネクタイだが、どのような柄を選んだのか、今ではすっかり記憶にない。

ネクタイを購入し、お店を出ようとした私は、先ほどの店員さんが、新たなお客の応対をしている様子を見かけた。今度は中年のご夫婦だった。

しかも、彼らが会話していたのは、フランス語だった。
つまり彼女は、ドイツ語・英語・フランス語で、流暢に会話ができるということになる。

しかも、彼女の母語がドイツ語だとしても、スイスのドイツ語は、「スイス語」と呼ばれるほど、標準的な「ドイツ語」(私たちが学校などで習うドイツ語)とは違う。極端に言えば「スイス語・標準ドイツ語・英語・フランス語」ができる、ということなのだ。

これがスイスなんだなあ、と感心しながら、私は店を出た。

やはりスイスでは、公用語が複数できる+英語で、仕事の選択肢も広がるのだろう。国家の成立の経緯や地理的条件があるので、単純には比較できないが、日本で複数の外国語ができると圧倒的に有利という日は来るのだろうか、と思う。

そうなるには、日本はさまざまな面でもっと「開かれた」状態になる必要があるのだろう。

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「英語で考える」?
よく、「英語で話すときは、日本語で考えずに英語で考える」という話を聞く。そういう話を聞いた高校生くらいのときは、自分でも「そうかなあ」と思っていた。だが、あれこれ経験して、(私の場合は、であるが)どうも違うらしい、ということが分かった。

私は高校入学頃から4年ほど、英会話サロンに通っていた。平日は毎日のようにサロンに行き、1時間(正確には50分)のレッスンを受け、時間に余裕があったら、他のレッスンを聴講していた。聞いているだけでも、いろいろと気づくことがあって面白い。

聴講するクラスは、自分でレベルを選べる。最初は自分のレベルと近いクラスを選んでいたが、他の生徒さんからのアドバイスで、もっと上のクラスを聞くようにした。自分が初級上のときに、中級中くらいのクラスを選んだ。

こちらのほうが、自分のためになった。何より「ああ、そうか」と思ったのは、「実はクラスが上になったからと言って、難しい内容を話しているわけではない」ということだ。ボキャブラリーも文法の理解力も、自分たちとそんなに大きく変わるわけではない。

では何が違うかと言うと、英語で何か質問されてから反応するまでのスピードだ。これが圧倒的に違った。当時私がいた初級クラスでは、質問されてから答えるまでに、かなり時間がかかった。だが、中級クラスになると、質問から答えまでの時間が短かった。でも、話の内容や文法事項の理解は、初級クラスとあまり変わりがなかった。別に早口でまくしたてなければならないこともなく、みんな、自分のペースで話していた。

「なんだ、内容はあまり変わらないんだ。違うのは、反応するスピードだけだ」と気づいてからは、「遠く目標ではない!」と頑張った。最終的には、かなり上のほうまで進級した。と言っても、中級上〜上級下程度だっただろう。

前置きが長くなってしまったが、こうやってレッスンを受けていくなかで、「ああ、私、英語で考えている(嬉)」と思ったことがない。意識せずに英語で考えている、ということではなく、本当に英語では考えていなかった。

もしかしたら、言語学の分野になるのかもしれないが、私は、人間は、物事を考えるときに、その人間が複数の言語を操れる場合、「一番複雑なことや抽象的な内容が考えられる言語」で考えていると思う。これが「母語」だろうかと思ったが、Wikipediaによると「第一言語」らしい。

ともあれ、第一言語で頭の中で考え、それを何らかの言語にしてアウトプットする。私の場合、第一言語は日本語ということだ。英会話サロンに通っていたころは、頭の中で日本語と英語の対応がきっちりできていた。英語に関するデータが入っているひきだしの動きが滑らかで、「こういうことを話そう/書こう」と考えると、すぐに「そういうときに使うのは、こういう表現だよ」と出てくる、という感じだ。

当時は、日本語で考えてから英語でアウトプットするまでの時間が、ほとんどかかっていなかったように思う。さらに言うと、まだ高校生だったので、政治や経済といった難しい話題についていけなくても許された。今思い出すと、ほとんとバイリンガルと言ってもよかったのではないか……と思うくらいだ。

今はというと、「英語で難しいことを話す」というのができないので、この部分で日本語と英語の差を縮めなければ、とは思っている。

「学生のときは流暢に話せたが、自分の中に、話したいと思うような内容がなかった。だが今は、話したいと思うことがあっても、それがスラスラと出てこない」

10年以上前になるが、私がどれだけ英語を話せるかについて尋ねられたとき、こう答えた。今もこれと変わらない状況だと思う。ただ、年齢を重ねて図々しさが身についたので、「英語、なんとか話しても、文法間違えちゃうからな〜」などと若々しい心配をせずに話せるかな、と思う。

ではドイツ語はどうかというと、大学で勉強し、短期留学もしたが、接していた時間の差か、引き出しの動きが英語より悪い感じがする。ここも何とかしなければ、とは思っている。

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